こんにちは、NorrライターのRenです。普段は大学院生として北欧に滞在していて、その傍らでNorrの管理運営をしています。最近は北欧留学の後押しができたらなと思い、インスタグラムにて「北欧留学大使」というアカウントを作りました。
今日は、僕が半年以上かけてコツコツやっていたとあるプロジェクトについて、その背景や裏側、想いを中心に綴ります。
まずは、こちらの動画を先に見ていただければと思います。2019年末から2020年6月頃にかけてノルウェー人100人に幸せについて聞きました。この動画はその声を一部抜粋したものです。
なぜ北欧は「幸福の国」と呼ばれるのだろう。。?
このプロジェクトはこんな疑問から始まりました。北欧といえば「幸せ」という枕詞がつきがちです。世界幸福度ランキングなるものが持て囃されているおかげで、北欧の認知度は爆上がりし、ある種理想郷として捉えられていることが多いように感じます。
ここでは詳しく書きませんが(幸福度ランキングの分析記事はコチラ)、幸福度は主に6つの指標を元に数値化されています。
- 一人当たりのGDP
- 寿命
- 社会的なサポート
- 人生選択の自由
- 寛大さ
- 汚職の有無
北欧諸国はこれらの総合スコアが世界でも高く、特にデンマークやフィンランドを幸福の国として説明する人が多いです。
さて、本当にそうなのか?というのが僕がずっと疑問に思っていたことです。これは、デンマーク人やフィンランド人が幸せだ、という結論に対する疑問ではありません。「幸せ」という感覚的で主観的なモノを客観的な数字というモノサシで示し、それでいてそれをタテに並べて良いものなのか?という疑問に起因します。
少しだけ、僕の過去の話をします。今でさえ「幸せ」ということについて考えるようになりましたが、そのきっかけは5年以上前にまで遡ります。初めて北欧に足を踏み入れる以前のことです。大学1年生の頃、学内の海外ボランティア団体に所属していました。この団体は、教育活動が軸になっていて、それもそのはず活動先であるマレーシアの島嶼部に、学校に通えない子供達が多くいるからです。
渡航中、裸足で走り回る子供達に聞いてみました。
−− 幸せ?
すると、彼らは
−−うん、幸せだよ。
と答えました。彼らは学校に通えない上に、経済的に貧しく、高級住宅街の裏の茂みに隠れながら暮らしています。今にも崩れそうな、「家」とはとても言えない家を建てて生活していながら幸せだという子供達。彼らの目は輝いていて、少し黄ばんだ歯までもが光って見えました。それまでの僕の幸福観に衝撃が走った瞬間です。
ノルウェー人から生の声を聞きたかった
主観的感情である「幸せ」をもう一度考えるべきだと思いました。同じ日本人でも人によって心が揺れ動く瞬間は違います。もちろんノルウェーでもそれは同じで、だからこそそれぞれの口から「声」を聞いてみたいと思ったのです。
そう思い立った昨年(2019年)末、100人に聞いてその声を一本の動画にすることを決めました。人口530万人(北海道と同じくらい)の国の幸福観を100人から見出すのはあまりにも無理がありますが、老若男女100人に聞けば少しは傾向が見えてくると思いました。早速電気屋に行ってマイクを買い、一眼レフカメラを担いで街に繰り出しました。
「きっとこんな答えが返ってくるはず」と僕なりの結論に妄想を膨らませながら、初めて聞く北欧の幸福観に胸を踊らせていました。
一筋縄ではいかない真冬のインタビュー
昨年末に始めた当初、1ヶ月くらいあれば聞き終わるだろうと楽観的に思っていたのですが、そう甘くはありませんでした。片言のノルウェー語しか話せないので、会話は基本的に英語。それでいて黒髪の青年はズッシリした一眼レフカメラを持っている。おまけにマイクまで。真冬の北欧の町には快くインタビューを引き受けてくれる人はそういませんでした。それに彼は「あなたにとって幸せとは?」という少し怪しげな質問を投げかけてきます。
断わられるたびに、ギューッと胸が締め付けられた気がして、冷たい北風でより心が萎縮しました。「幸せ」について聞き回っているのに、当の本人がそのインタビューをやることで不幸せになっているなんて皮肉なものです。
それまでのインタビューの仕方を振り返り「きっと聞き方に問題があるはずだ」と思い、コミュニケーションという角度から見直しました。相手に心を開いてもらうには、まずは自分から心を開かなくてはと思い、出来るだけ印象良く写るように表情や言葉選びを工夫しました。それから「幸せ」という言葉があまりにも直球すぎるなと思い、少しオブラードに包んでやんわり聞いてみたり。テレビ番組でよくあるインタビューを真似て、エンタメ要素を入れてみたり。色々と試しました。
上手くいったものもあれば、そうではなかったものもあったり。そんな風にして試行錯誤を繰り返していた2月、突然カメラが故障。修理には1ヶ月ほどかかるとのこと。少しインタビューから離れて、3月にまたカメラが手元に戻ってきたかと思うと、次は新型コロナウイルスがノルウェーで猛威を振るい始めました。
そして、少し落ち着きもう一度インタビューを再開できるようになった5月頃。春に近付くにつれて過ごしやすい日が増え、人の表情にも変化が生まれます。特に、5月17日のナショナルデーはノルウェーが一年で一番盛り上がる日です。この日はチャンスだと思いまたインタビューを始めると、この日だけで30人近くの人の声を聞くことが出来ました。
そして、今年の6月にようやく目標の100人を聞き終えることが出来ました。
十人十色の幸せのカタチ
字の如く老若男女全ての世代の人(年齢は聞いていないのであくまでも推測ですが)に聞いてみたわけですが、その内訳は以下の通りです。
男性 | 女性 | |
---|---|---|
小学生以下 | 8 | 6 |
ティーン(13ー19) | 17 | 21 |
20代 | 8 | 9 |
中年層 | 6 | 6 |
シニア層 | 7 | 12 |
計 | 46 | 54 |
「これだ!」と単一の幸せの在り方というのはなくて、ほとんどの人が複数の要素を答えました。この辺は冒頭の動画を見ていただければわかるかと思います。
こうした一人一人の声を全て統計的にまとめようと思ったのですが、やめました。それをやってしまうと、それこそ「統計データ」に基づいた幸福観になると思うからです。各々の声から要素を抽出して帰納的に答えを見出すのは今回は正しい結論にはなり得ないと思います。
そこから見えてくるのはあくまでも数値化された傾向であって、個々に当てはまる必然性はありません。僕がこのプロジェクトを始めたきっかけにあったのは、「幸せ」というモノの正体を解き明かすことではなくて、「幸せのカタチ」を直接人の口から聞くことだったので。
話を聞く中で特に印象深かった内容については動画で使わせていただきました。ちなみに、動画の声は若年層から老年層へと経年変化を辿っています。最後の方には年輪を数多く刻んできた方の温度のある言葉が垣間見れたかと思います。
100人と話して見えてきたこと
先述の通り、「幸せはコレである」という結論を出さない(出せない)ことにしましたが、話して見えてきたこと・わかったことはあります。2つお話しします。
社会的動物である人間
「人」という漢字を見てわかる通り、人は誰かと支え合いながら繁栄を遂げてきました。繁栄という言葉以前にも、人は誰かの力なしには生存が難しい生き物であることは容易に想像がつくと思います。
冒頭の方で触れた幸福度ランキングを見ると、北欧諸国は「社会的なサポート」という項目で数値が高いことがわかります(幸福度ランキングの分析記事はコチラ)。それに加えて「幸福」について長きに渡って(75年間)研究した興味深いプレゼンがあります。有名なTEDで登壇されていた方のプレゼンです(コチラから飛べます)。
このプレゼンで結論付けられている幸福のあり方はまさに「人間関係」で、これは幸福度ランキングの「社会的なサポート」と繋がります。これは教科書的(既にわかっていること)な知識です。
さて、ここでこのプロジェクトの話に戻ります。先ほど、実際に聞いた声を集計しないと書いたばかりですが、回答を俯瞰して見てみると1つの「幸せ」のあり方が見えました。
それこそが「人間関係」で、100人に聞いていく中で「家族」や「友達」、「自分の周りにいる人」を「幸せ」と答えた人は8割近くに上りました。
互助が幸せの根底にあるということを表していると思います。それでいて、世界幸福度ランキングと75年間に渡る研究からみえた「人間関係」と合致します。
つまるところ、「良い関係を築くこと」は人が幸せを感じる普遍的な原理原則であるということです。少なくとも実際に100人に聞き回った僕の中では、ようやく腑に落ちた「幸せのカタチ」となりました。
幸せの輪郭
そして、「幸せの輪郭」について。これはもう1つの「幸せのカタチ」だと思っています。「感情の上下運動」です。「こういう時に幸せを感じるはずだ」という具体的なあり方を見いだすのは難しいですが、幸せは決まっていつも同じシルエット(輪郭)であると思いました。中身は違くても、「幸せ」というパッケージのリボンの包み方はどれも似通っているということです。
僕の中で、体系化された幸せのパターンがあるとするならば、1つは先ほどの「人間関係」であり、もう1つはこの「感情の上下運動」です。感情が下から上向きに動いた瞬間に「幸せ」という感情が生まれやすいと思っています。
裏返すと、平坦で安定した”状態”に「幸せ」を感じることは難しいということです。
ここは具体例を見ていきましょう。
「教育」がわかりやすいと思います。冒頭付近で僕の過去について少し触れました。海外ボランティアの経験についてです。
マレーシアの島嶼部には様々な理由から公的な教育を受けられない子供達が沢山います。そんな彼らと触れ合いながら「学び」の楽しさを共有することを目指していました。
生まれながらにして(学びたくても)学べない環境にいる子供達は、僕たちが準備した授業をしている時、目を輝かせながら釘付けになって勉強します。皆が前屈(まえかが)みになって、文字を読めないなりに解読しようと必死です。授業が終わっても「Cikgu!! Cikgu!!(マレー語で先生の意味)」と集まってきます。
小学生の頃を思い出すと、少なくとも僕は勉強したくないなと思うことがありました。教育が当たり前化(日常化)している人にとっては、そこに幸せを感じることはなかな難しいです。
ここで、また幸福度ランキングの指標を見てみます。6つの項目の中に「人生選択の自由」があります。北欧は確かに、極めて自由度の高い国です。学校教育においても、個が重んじられている上、起業しようと思った時に金銭的なサポートや社会的なセーフティーネットが確立されています。あらゆる面で自由が担保されていると言えそうです。
ここで、感情の上下運動を考えてみます。常に自由が保証されている北欧の人達が、その状態に幸せを感じるでしょうか。YESと答える人はもちろんいますが、それは多数派とは考えにくいです。実際に100人に聞いていく中で、自由と答えた人は2人です。1人はアートギャラリーでお話しした女性です。
考えてみればアーティストが「自由」を大切にすることはよくわかります。表現を生業とされているので、その「自由」が剥奪されてしまっては成立しません。
北欧のイメージの1つとして上げられることの多い「高福祉」についてはどうでしょうか。医療費が無料である北欧では、そうでない多くの国から羨望の眼差しで語られます。が、これも感情の上下運動を考えてみると「高福祉」という状態は幸せを作り出すでしょうか。毎週のように病気にかかるのであれば、幸せを感じるかもしれませんが、高水準な公衆衛生が保証されている北欧ではなかなか考えにくいです。
それこそ、幸福度ランキングの「寿命」という項目ではどの国もトップにいます。健康である人が多い国です。
もっと単純に考えてみると、空腹時に食べるおにぎりと、満腹時に食べるおにぎりとでは、たとえ具材が淡白なものであれ、美味しさは格段に変わるはずです。
他にも例をあげればキリがないですが、つまるところ、世間一般で言われる「北欧の幸福観」は多くの場合、第三者の文脈というフィルター越しに見たものであって、肝心な当の本人達の感情が反映されていないと思います。
福祉や自由が果たしている役割があるとするならば、「感情の上下運動」で言うところの下方へと向かう力を抑止する、いわばセーフティーネットとしての機能で、必ずしも感情を上向きにするとは限らないと思うのです。
北欧の天気が生み出す「幸せ」
それでは北欧の文脈に沿った「感情の上下運動」を以って結論付けたいと思います。これは幸福度ランキングのレポートにも、75年間アメリカで行われた幸福の研究結果にも見て取れません。あくまでも「北欧の文脈で」という条件が付きます。
北欧はその揺れ幅の大きい気候で有名です。夏はかなり過ごしやすくて、地域によっては白夜になったりもします。とりわけ日照時間が長く、北ヨーロッパでも南部に位置するデンマークでさえ22時ごろまで明るくても不思議ではありません。
一方、冬はどうでしょうか。「オーロラ」や「美しい雪景色」が想起されますが、それは北欧でも北部地域で経験できることです。基本的には、「寒くて、暗くて、長い冬」が続きます。一年の中でも過ごしにくい期間が長いのが北欧です。
この悪条件の気候が、北欧の人が幸せに見える理由に一役買っていると僕は思っています。2019年末から始めたこのプロジェクトですが、序盤はなかなか上手くいかず、インタビューを断られることがありました。この一因として、僕自身のコミュニケーションの仕方があると思うのですが、ひょっとすると「冬だったから」かもしれないと思っています。
寒くて、暗くて、長い北欧の冬の人々を観察していると、背中が丸まっていたり、どこか厳しい表情を浮かべる人も多かったりします。気持ちが内向きになりやすいと思います。
そんな悪条件な長い冬を乗り越えてやってくるのが、パラダイスのような春と夏です。これについては、インタビューの回答に直接反映されたのですが、「自然」や「天気」、「太陽」と答えた人は圧倒的に春と夏に多いです。
このインタビューの声をまとめた動画でも使わせていただきましたが、ナショナルデー(5月17日)の日に、こんなことを言った女性がいました。ちなみに、この日は午前中は雨で、午後から快晴に変わりました。
I like that it’s rainy one day, the other day it’s snowing. And the next day, it’s sunny. That makes me appreciate good days and bad days.
(意訳)雨の日もあれば雪の日もある。その次にはきっと晴れの日がくる。雨とか雪の日があるから、良い天気の日を大切にしようと思えるの。
これが全てを物語っていると思います。天気の揺れ幅が大きい地域では、気候の移り変わりにありがたみを感じる人が生まれるという事です。
今だから言える事
最後に、半年間のプロジェクトを無事終えた今だから言えることで締めたいと思います。
「幸せ」というのは、やっぱりその人がどう感じるかという極めて主観性の強いもの。その人のバックグラウンドや環境を無視して、第三者の視点から語るべきではないと思います。それは幸せの押し付けだと思っています。
世間一般的に「北欧=幸福」というイメージが先行し、独り歩きしてしまっていると思います。僕は必ずしも北欧の人は幸せだと思っていない立場で、それは自殺率などに見て取れます。フィンランドなんかは世界でも自殺率の高い国として有名なのですが、そんな国が世界幸福度ランキングで3年連続1位というのはどこか腑に落ちません。
かくいう僕も、スウェーデンとノルウェーで北欧の冬を2度経験していますが、ウィンターディプレッション(winter depression=冬の憂鬱)は間違いなく存在します。僕もなりかけました。太陽が出ない曇りの日が続く北欧の冬に、ビタミンDの錠剤を飲むことは全く珍しくありません。
厳しい環境で繁栄を遂げた北欧という地域を幸せだというなら、きちんとその国の文化と歴史、環境を理解した上でモノを語ることが然るべき姿勢だと思っています。点でなく線という文脈で見てみると、必ずや見えてくるものがあるはずです。
インタビューをしている中での副次的な発見ですが、北欧(少なくともノルウェー)が世界でも幸福だと言われていることを知っている人は意外と少ないです。
そんな北欧に幸せのカタチがあるのであれば、それは普遍的な「人間関係」と「天気に見る感情の上下運動」とに深く関わっていると思います。
動画の一番最後の声で使った年配の女性の声を以って、このプロジェクトを終わりにしたいと思います。「人生山あり谷あり」とよく言われますが、それは言えて妙で、その1つ1つの小さな浮き沈みを大切にすることが幸せのカタチなのかもしれません。
You see what life is all about ups and downs, and you have to learn from the ups and downs. When I do that, I feel happy. Small things. Because life is full of small things.
(意訳)人生って、山もあれば谷もあるでしょ。そこから学ばなきゃね。そういう時、幸せだと感じるわ。小さなことを大切にね。だって人生は小さなことの積み重ねなんだから。
主観性が強い「幸せ」という感情だからこそ、その答えを知っているのは常に自分自身です。目まぐるしくコトが進む毎日の中で、 ふと立ち止まって考えることはすごく尊いことだと思います。 物質的な豊かさを手にした僕たち現代人には、 きっとこんな心の余白を持ち合わせる必要があると思います。
たまには、そっと胸に手を当ててこう聞いてみて。
“What makes me happy?”
文筆家、写真家、イラストレーター。学部時代のスウェーデン留学が大きな転機となり、北欧のウェルビーイングを身体で学ぶべく、ノルウェーとデンマークの大学院に進学。専門は社会保障、社会福祉、移民学。2021年6月両国にてダブルディグリーで修士号取得後、帰国。現在は、アニメーション業界に飛び込み、ストーリーテリングの観点から社会へ働きかけるべく活動を広げている。フリーランスとしても活動している。又、北欧情報メディアNorrから派生した「北欧留学大使」を主宰し、北欧留学支援もしている。
■これまでの活動歴:「令和未来会議2020”開国論”(NHK)パネリスト出演」、「デモクラシーフェスティバル2020(北欧5カ国大使館後援)イベント主催」、その他講演多数