(*The eye-catch image is borrowed from Harri Tarvainen/Sauna from Finland)
こんにちは、NorrライターのRenです。
学部時代のスウェーデン留学からすっかりサウナの虜になって、月一回は必ずサウナに入るようになって早3年が経ちました。現在住んでいるノルウェーでも、毎月欠かさず通っています。
そんな北欧の生活に欠かすことのできないサウナですが、しばしば「社交場」と言われることがあります。これまでなぜそう呼ばれるのか考えてきたのですが、ようやく少し答えが見えました。
今一度サウナについて確認しておくと、「サウナ(sauna)」はフィンランド語の単語で、おそらく日本人が一番馴染みのあるフィンランド語だと思います。フィンランドで古くから愛されているサウナですが、80~100℃近くに温められた(熱せられた?)室内で汗を流すのが基本的な楽しみ方。
本場フィンランドでは、社交場としての役割が強く(ノルウェーのサウナでも感じます)、まさに「裸の付き合い」なわけですね。あとは、日本でいう水風呂の代わりに湖や海に飛び込んだりもします。日本のサウナには「社交場」としての意味合いが弱いので、あまりピンと来ないかも知れません。そんな「社交場」として楽しまれているサウナがなぜそうなのか、考えてみます。
結論から言うと、その答えは
『サウナの構造にある』
サウナに入ったことがある人ならどんな構造かわかると思いますが、上から見ると四角いことがほとんど。僕の地元の銭湯にあるサウナも長方形でした。
それから、配置。まず、サウナの扉を開けると、ドア付近にサウナストーブが置いてあることがほとんどです。そのサウナストーブに対して「L字型」に木製のベンチが設置されています。場所よってはサウナストーブを取り囲むように「コの字型」になっているところもありますが、僕の経験上ではあまりみたことがありません(ちなみに月1サウナ歴3年です)。
この構造がサウナを社交の場として機能させているのだと思います。つまり、社交場ということはコミュニケーションが生まれる場であるということで、このサウナの構造がコミュニケーションを円滑にしているんだというわけです。
L字型に座らざるを得ない以上、「対面で話す」ということがなくなります。コの字型の設計の場合なら対面で座ることはあり得ますが、少し距離ができるので対面の人と会話が始まることは少し考えにくいです。
対面になって「タテで話す」ことがなくなり、「ヨコで話す」ことが増えます。こうすると、自然な会話になりやすくなります。面接や面談なんかを思い出すとわかりやすいのですが、対面でのコミュニケーションだと、相手の目を見ながら話す必要があって、目線が外れると会話が途切れたことがあからさまにわかります。気まずくなりますよね。要は、対面に座ってしまうと、話すのに緊張して話すハードルが上がってしまうんです。
対して、ヨコのコミュニケーションでは相手を見ずに話さなくても良いので、仮に会話が途切れてもあまりその気配を感じさせません。さらに、サウナは原則裸で楽しむものなので、そこで1つ他者との距離のハードルが勝手に下がります。服を着た場合は、服装や髪型で少しカモフラージュされてしまいますよね。人間の判断の多くは視覚から入ることが多いので、サウナでは不要な色眼鏡をかけずに会話を始めることができるんですね。
サウナ室は気持ち薄暗いので、心理的にさらに話しやすくなります(隣であっても、明るい電車の車内で知らない人に話しかけられるのに困ってしまうのはその逆ですね)。
ここでまとめておくと、サウナでコミュニケーションが生まれる理由にはそのサウナの構造がポイントになっていて、対面で話す必要がないので、気持ちを緩めて自然と会話できるようになります。
僕自身、ノルウェーのサウナで実際に体験したことを思い出すと、確かにある程度の妥当性はあるなと思います。突然隣の知らないおじさんに話しかけられたけど、気づけば20分くらい話し込んで途中から熱くなりすぎて外に出たくなったくらい。話すのがすごく楽しくてノルウェーの石油産業の将来について聞いてみたり、教育について聞いてみたり、逆に日本についても聞かれました。
サウナが好きになったきっかけになった、スウェーデン留学時の寮のサウナもそうでした。なぜか寮にサウナがあったのですが、友達と定期的に入ってたわいもない話から未来の話を、途切れ途切れに色々と話しました。もちろんヨコに座りながら。サウナがきっかけで仲良くなったと言ってもいいくらいの彼とは今でも仲良しです。
日常でのヨコの関係
よくよく考えてみると、これは僕たちの日常生活でも無意識にやっていること。例えば、サークルの中で気になる人がいるとします。みんなでご飯に行った時、おそらく気になっているその人の正面には座らないはずです。少し離れたところに座るか、少なくとも角度をつけるはず。
緊張してしまうから。
見られている気がするから。
自分によっぽど自信がある人は例外かも知れませんが、多くの人はジロジロ見られるのを嫌がりますよね。
それから、友達や恋人と歩きながら話すとなんだか和むにはこのせいだと思います。横になって手を繋いだりしながら歩くと心理的にも物理的にも距離が狭まりますね。友達レベルだと、ビデオ通話よりも音声通話の方が良いのかも。音声通話の場合は相手が見えないけど、その分ヨコにいるように感じられるかも知れません。
この「サウナ理論」を逆手にとってみると、面接なんかは横に座ってやるのも案外良いかも知れませんね。そっちの方がリラックスして想いを伝えられそうです。病院の診療や心理カウンセラー、取り調べなんかもこのやり方でコミュニケーションを取った方がもしかしたら良いかも。
ヨコのコミュニケーションは汎用性が高そうです。
社交的なサウナが日本でももっと広まればいいなと思います。
文筆家、写真家、イラストレーター。学部時代のスウェーデン留学が大きな転機となり、北欧のウェルビーイングを身体で学ぶべく、ノルウェーとデンマークの大学院に進学。専門は社会保障、社会福祉、移民学。2021年6月両国にてダブルディグリーで修士号取得後、帰国。現在は、アニメーション業界に飛び込み、ストーリーテリングの観点から社会へ働きかけるべく活動を広げている。フリーランスとしても活動している。又、北欧情報メディアNorrから派生した「北欧留学大使」を主宰し、北欧留学支援もしている。
■これまでの活動歴:「令和未来会議2020”開国論”(NHK)パネリスト出演」、「デモクラシーフェスティバル2020(北欧5カ国大使館後援)イベント主催」、その他講演多数