サウナというフィンランド語
温泉文化が根強い日本においては「サウナ」は比較的身近な存在である。家庭にないにしても、地元の銭湯に行けば多くの場合サウナ室がある。温泉もまた然り。高温多湿の密閉空間で汗を流し、水風呂や外気浴を楽しむために足繁く通う人も少なくないだろう。
近年日本においてもサウナブームが再来し、「サ道」などの用語を聞くことも増えた。サウナ愛好家の中では、存分にサウナを楽しみ、その後のなんとも形容しがたい爽快な時間を「ととのう」と言う。いかにも日本的な言い回しに思える。
かく言う筆者も、スウェーデン留学時には当時住んでいた寮に併設されているサウナ室に友人とよく通っていた。サウナ後、スウェーデンの冷たい夜風に当たりながらビールを片手に世間話をしたのも懐かしい。なんとも至福なひとときであった。
そんなサウナであるが、これがフィンランド語であることをご存知だろうか。世界的に見てもマイナー言語に分類されるフィンランド語にもワールドワイドに認知されている単語があるのである。
サウナ自体はフィンランド語であるが、その入浴法はフィンランド固有のものではなく古くから各所にて楽しまれていたようだ。その歴史は1万年前にも遡るとも言われており、フィンランドを語る上で欠かせない程に日常化した文化である。
その数も300万箇所は悠に越えると言われており、人口550万人ほどのフィンランド人が一斉に入ったとしても余るくらいだ。公衆サウナはもちろん、家庭や工場、はたまた大使館や国会議事堂にまでもあるんだとか。スタジアムのサウナに入りながらアイスホッケー観戦を楽しむ人もいることには驚きだ。BBCの記事によると、99%のフィンランド人が週に1度はサウナを楽しむという。
そんなフィンランドを代表する「サウナ」にはどんなヨコのコミュニケーションが繰り広げられているのであろうか?
サウナが外交にもたらした役割
フィンランドのサウナでは日本では当たり前であるが、同性間においては裸で入ることになっている。この点、まさに「裸の付き合い」がそこにはあるのである。日本の銭湯のサウナのようにテレビなどはない。公衆サウナに行けば見ず知らずの人がいて、同じ空間で会話を楽しむ。その人の素性など知る由もなく、ただただコミュニケーションをする場所として存在しているのである。
フィンランド人の気質としてしばしば「恥ずかしがり屋」と言われることが多い。国別に多少の差はあるにせよ、これはフィンランドに限らず北欧に共通する気質と言えるかもしれない。
しかし、サウナでは真逆のようだ。普段は内気なフィンランド人もサウナでは気さくに話しかけるのだ。見ず知らずの人に自分の人生について語り、時には深く話し込むことも珍しくはない。年齢や出自、職業、所得など関係なしに、外界とは隔絶されたどこまでもフラットで平等な空間がサウナにはある。
日常的なコミュニケーション手段としてはもちろんのこと、政治においてもサウナが機能することもある。重要な議題などはサウナに持ち込んで意思決定を行うと言うではないか。
1つ事例をあげるなら、旧ソ連との外交にてサウナが重要な役割を担っていたようだ。1956〜1982年にフィンランド大統領を務めていたウルホ・ケッコネン大統領。彼は、「サウナの中では誰であろうと平等である」という信条を持っていた。裸になれば隠し事など出来ないはずだと彼は信じていたのである。
冷戦期、東西陣営の中立を保ちたかったフィンランドは隣国の超大国旧ソ連の存在を無視できなかった。ケッコネン大統領が60歳の誕生日を迎えたとき、当時ソ連の指導者であったフルシチョフは彼を祝福しに行った。これを良いことにケッコネン大統領はフルシチョフ氏をサウナに招き、午前5時まで楽しんだと言う。これが功を奏したのか、フルシチョフ氏はフィンランドが西側との経済協力をしたい意向を支持する電報を送ったそうだ。これにより、フィンランドは欧州自由貿易連合(EFTA)に加盟するに至ったという。
もちろん当時のパワーバランスを考えればフィンランドは劣勢であり、旧ソ連側からすると東側陣営に組み込みたかったのかもしれない。真意は断定できないにしろ、こうした逸話が残っていることはサウナという空間においては平等な関係でいられるということがわかるであろう。
サウナがつくる並列の対話
最後にサウナがなぜ並列の対話を生むのかを筆者の解釈を書き留めておく。詳しくは、「サウナがなぜ『社交場』なのか、その答えがわかりました」を参照していただきたい。
なぜサウナでは並列な対話が生まれるのか、その答えはサウナの構造にあると考える。一般的にサウナストーブを囲むように席が設置されている。この構造のまま座ると、多くの場合、対面での会話はなくなる。つまり、ヨコ並びあるいはナナメでの対話になるのである。
人は対面での会話には緊張しがちである。相手の目を見る必要があるので、目を背けてしまっていはいけないという心理が働くであろう。面接などを思い起こしてほしい。一方で、ヨコに座って話すことで緊張がほぐれ、リラックスした気分で話すことができる。
このヨコに座っているという安心感が並列な対話を生んでいると筆者は考える。
以上見てきたように、北欧には「コーヒー文化」や「サウナ」がヨコのコミュニケーションに大きな影響を与えているように思う。それは、必ずしもコーヒーを飲んでいるからではなく、コーヒーを介したフラットな時間が上下関係を取っ払うのだと考える。フィンランドの代名詞とも言えるサウナであるが、これはフィンランドの垣根を超えて、他の北欧諸国でも同じように楽しまれている。
文筆家、写真家、イラストレーター。学部時代のスウェーデン留学が大きな転機となり、北欧のウェルビーイングを身体で学ぶべく、ノルウェーとデンマークの大学院に進学。専門は社会保障、社会福祉、移民学。2021年6月両国にてダブルディグリーで修士号取得後、帰国。現在は、アニメーション業界に飛び込み、ストーリーテリングの観点から社会へ働きかけるべく活動を広げている。フリーランスとしても活動している。又、北欧情報メディアNorrから派生した「北欧留学大使」を主宰し、北欧留学支援もしている。
■これまでの活動歴:「令和未来会議2020”開国論”(NHK)パネリスト出演」、「デモクラシーフェスティバル2020(北欧5カ国大使館後援)イベント主催」、その他講演多数